コリアニュース №1058(2025.6.17)
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「歴史を直視し、過去を清算するのは戦犯国・日本の回避することのできない道義的責任であり、国際法的義務である」

朝鮮民主主義人民共和国外務省の日本研究所・所長が15日、次のような談話を発表した。

(以下全文) アジアを血で染め、地域諸国の人民に未曽有の残酷な災難と不幸を強いた日本帝国主義(日帝)が、膝を屈して無条件降伏を宣言した時から80年になる歴史の日が、日一日と近づいている。

最近、メディア報道によると、日本国内で敗戦80年に際し、過去の侵略戦争に関して首相談話を発表する問題を巡って論争が絶え間なく続いていると言う。

良心的な団体と人士たちが、重要な歴史的時点に政府が謝罪の立場を明確にすることを求めている反面、極右保守政客らは、戦後70年を契機に発表した安倍談話で「謝罪外交」に終止符を打ったと強弁しながら、これに激しく反対している。

看過できないのは、現在の日本の首相が、これに関連して曖昧な態度を取りながら、第2次世界大戦に対する検証を経たうえで、個人的な見解を発表することで適当に済ませようとしていることである。

日本が行おうとする「戦争検証」というものは、過去に犯した侵略戦争犯罪に対する検証ではなく、政府が軍部の独走を止められなかった制度的問題と、無謀な戦争に突入して民間人被害を生んだ経緯といった、極めて非本質的で本末転倒の検証以外の何物でもない。

特に、先日、首相が談話発表に関連する国会論議の際、現行憲法下で「自衛官」が国会に出頭できなくなっている文民統制方式に問題があるというふうに発言したのは、「戦争検証」を通じて「自衛隊」の合法化のための布石を打とうとする不純な企図をさらけ出したことになる。

日本が国際社会の面前で、いわゆる「謝罪外交の終結」を云々して「戦争検証」だの、「平和国家としての行跡」だのというなどの耳に心地よい言葉で、敗戦80年をうやむやにしようとするのは、日帝の希代の罪悪によって永遠に癒されることのない傷を負ったわが共和国とアジア諸国の人民に対する許せない愚弄、冒瀆であり、国際的正義と良心に対する露骨な挑戦だと言わざるを得ない。

長きにわたる歴史の節目には、他の国と民族に対する侵略を道楽とし、人類の平和と文明を無残に破壊した戦犯国の行跡が多く記録されているが、執拗な歴史歪曲と過去清算の回避によって国際的な指弾の対象となっている国は、日本だけである。

日本の右翼保守勢力が「過去侵略史の総括作」にしようとする安倍談話は、過去の犯罪に対する率直な認定と心からの謝罪どころか、むしろ、次世代に謝罪を続けなければならない宿命を担わせてはならないだの、侵略史に対する謝罪がこれ以上ないだのという破廉恥な詭弁で一貫している。

歳月が流れ世紀が変わったが、わが人民は、過去に日帝が朝鮮を銃剣で占領し、40余年間、野蛮な植民地ファッショ統治を強行しながら莫大な人的・物的・精神的・文化的被害を被らせた、天人ともに激怒する犯罪行為をはっきりと記憶している。

日帝が100余万人の朝鮮人を野獣のように虐殺し、840万余人の青壮年を強制的に拉致・連行して侵略の戦場と苦役場に駆り出し、20万人の女性を日本軍性奴隷に転落させ、麗しい青春を無残に踏みにじった特大の反人倫犯罪は、それこそ前代未聞のものであった。

「同祖同根」、「内鮮一体」を唱え、数千年の悠久な歴史と燦爛たる文化を誇るわが民族を、地球上から永遠になくすために朝鮮人の姓と名前、言葉と文字まで奪おうと極悪非道の限りをつくし、わが国の貴重な文化財と豊かな天然資源を手当たり次第に破壊・略奪する蛮行も、ためらわずに行ったのがまさに日帝である。

敗戦以降80年もの間、日本はわが人民に対して犯した犯罪に対する謝罪と賠償をあくまでも拒否し、終始一貫して対朝鮮敵視政策を追求しながら、わが共和国の自主権と発展権、生存権を著しく脅かし、強制連行被害者の子孫である在日朝鮮人の民族的権利を侵害することで二重三重に罪悪を上塗りしてきた。

日本のあるメディアは、朝鮮とアジア諸国で犯した日帝の犯罪的蛮行を告発する文書をつなげればおおよそ2万メートルにもなると暴いたことがあり、悪名高い731部隊の細菌戦蛮行資料をはじめ、今日も引き続き発見されている有力な証拠物は、人間の皮を被った日帝の反人倫犯罪行為を全世界に暴露している。

歴史は墨で消すことも、火で燃やすことも、剣で裂くこともできない。

日本がいくら権謀術数を弄して過去の罪科を抹消し、その責任から逃れようと躍起になっても、侵略者・戦犯国の歴史は後世に永く刻まれ続け、特大の反人倫犯罪には80年、800年が流れても時効などあり得ない。

日帝の血なまぐさい行跡が集中的に照射される敗戦80年の分岐点で、歴史を直視し過去を清算すること、これは、戦犯国・日本が時代と人類に対して担った回避することのできない道義的責任であり、国際法的義務である。

(了)

「在韓米軍の『戦略的柔軟性』を評する」

朝鮮民主主義人民共和国のキム・ヒョクナム氏が16日、次のような論評を発表した。

(以下全文) 最近、在韓米軍司令官をはじめとする米国の前・現職高位人物らが、毎日のように「戦略的柔軟性」を云々し、在韓米軍の態勢の調整と役割の拡大を吹聴している。

挙句の果てには、在韓米軍の「戦略的柔軟性」が対中国牽制に焦点を合わせており、朝鮮とロシア、中国の算法を変えるようにすると力説するなど、「柔軟」の看板の下に隠された腹黒い下心を露骨にさらけ出した。

単なる修辞的威嚇や誇示的言辞として片付けられるものではなく、追求する目的自体が極めて挑発的である。

在韓米軍を地域機動軍へと転換し、アジア太平洋地域の紛争と戦場に直接投入するということを公式化したここには、同地域での覇権的地位を在韓米軍の役割変更によって、何としても維持しようとする米国の戦略的企図が潜んでいる。

もとより、在韓米軍を含む海外駐屯米軍の役割を拡大するという「戦略的柔軟性」は、昨今に初めて提起されたものではない。

冷戦終結後、地球上の任意の地域で発生する「不確実な安保脅威」に、迅速に対応するという口実の下で考案し、「柔軟」のベールをかぶせて悪性的に進化させた米国の根深い侵略教理である。

「柔軟性」の美名の下に駐韓米軍武力の再配置がなされ、機動化された「ストライカー」旅団が韓国に循環配置されるなど、周辺作戦地帯への急派を狙った在韓米軍の体質更新が段階的に、系統的に推進されてきた。

在韓米軍の迅速機動軍化が事実上完備された状況下で、「戦略的柔軟性」が再び台頭し、その打撃目標がより明白になり、作戦範囲がより具体化されたというところに事態の重大さがある。

覇権野望によって加熱した「戦略的柔軟性」に始動がかかる瞬間、北東アジア地域に潜在している様々な衝突要素を発火させ、巨大な連鎖爆発が起きるということは火を見るより明らかである。

先日、米国政策研究機関が、特定の地域での中米衝突が瞬く間に朝鮮半島と日本へ拡散し、核戦争勃発にまで繋がりかねないという衝撃的なコンピューター・シミュレーション結果を発表して、世人の憂慮をかき立てたのは、決して偶然なことではない。

無謀さと焦燥感すら漂う米国のこのような挑発的行動の背景には、アジア太平洋地域における反米・自主陣営の急浮上と、それによる力の劣勢と覇権的地位の喪失に直面したホワイトハウスの不安心理が潜んでいる。

さらに、日を追って複雑になる中東事態と欧州の不安定な軍事・政治情勢の流れが、同地域に対する米国の悩みの種を増やしている。

現存の「複合的危機」の状況に対処して、アジア太平洋地域における在韓米軍の役割を多用途化・多角化することにより戦略的効率性を最適化し、追従国まで活用した力の集中で地域覇権を維持してみようとするのが、まさに米国の侵略的企図である。

主要地域に対する在韓米軍の進出が現実化する場合、韓国が最も効果的な発進基地、第1前哨基地としての役割を果たすようになり、米韓同盟の従属的構造にがんじがらめにされた韓国軍の参戦もまた、不可避となる。

在韓米軍司令官が、「北京から直線距離で400~600キロ離れた所に、在韓米軍以外に他の米軍部隊はない」、「韓国という空母のように強力で、脅威的な戦力投入手段はない」と公開的に吹聴したのは、その明確な反証である。

韓国を空母にして敵国を圧迫しようとする米国の無謀な妄動によって、アジア太平洋地域で法外な戦争エネルギーの集中・蓄積・膨張が加速化するであろうことは、疑う余地もない。

諸般の事実は、米国の冒険的な覇権追求が地域の戦略的均衡を破壊し、全地球的安全環境を統制不能の破局的状況へ追い込む不治の悪性因子であるということを明白に示している。

アジア太平洋地域に対する積極的な武力介入を追求する米国の覇権的振る舞いによって、地域はもちろん世界の平和と安全環境に多角的・多層的な脅威を与える、もう一つの新たな不安定気流が造成されている。

正義を志向する世界の多極化は、不正義の米国の覇権追求に弔鐘を鳴らした。

現米政権の出現とともに日ごとに無謀になる敵の挑発的振る舞いは、われわれをして最も圧倒的で、攻勢的な抑止力の更新・構築と、強力な行動的警告の実行に臨まなければならない当為性と切迫さを浮き彫りにしている。

時代錯誤の「力の万能論」に基づいた在韓米軍の「戦略的柔軟性」は、克服不能な戦略的孤立と回復不能な力の衰退だけを招くことになるであろう。

(了)

●「朝鮮中央通信社」(日本語) http://www.kcna.kp/goHome.do?lang=jp

●エルファテレビ  http://www.elufa-tv.net/


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