コリアニュース №832(2019.11.22)
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朝鮮中央通信:「約束が一つも実現されていない今の時点で、形式だけの北南首脳の対面は、あえてやらないほうがまし」

朝鮮中央通信は21日、「全てのことには時と場所というものがある」というタイトルで以下のような記事を配信した。

(以下、全文) 来る25日から、南朝鮮の釜山で開かれるASEAN(東南アジア諸国連合)諸国の特別首脳会議の準備が最終段階で進められているという。

 去る11月5日、南朝鮮の文在寅大統領は、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長に、今回の特別首脳会談に参席してくれること切実に招請する親書を丁重に送ってきた。

 われわれは、送ってきた親書が国務委員会委員長への真心からの信頼の念と懇切丁寧な期待が盛り込まれた招請なら、あえてありがたく思わない理由がない。

 われわれは南側が、国務委員会委員長の釜山訪問と関連する警護と儀典など、すべての迎接準備を最高の水準で備え、首を長くして待っていることも知らないわけではない。

 そして、この機会を逃さず現在の北南関係を解決するための新たなきっかけと、条件を作ろうとしている文在寅大統領の苦悩と煩悶も十分に理解している。

 それは、文在寅大統領の親書が寄せられた後も、数回にわたって国務委員会委員長が来ることができなければ、特使でも訪問するようにしてほしいという、切実な頼みを送ってきたことを見てもよくわかる。

 しかし、濁り切った南朝鮮の空気は、北南関係に対して非常に懐疑的であり、南朝鮮当局も北南間で提起されるすべての問題を依然として、民族共助ではなく外勢依存で解決しようとする誤った立場から脱せずにいることが、今日の厳然たる現実である。

 今、この瞬間でさえも「統一部」長官という者は、北南関係問題を持って米国への哀願訪問の途についたと言うのだから、当初から自主性も独自性もなく、すべてを外勢の手中にすべて押し付けている相手と向き合い、何を議論し解決できるというのか。

 真心がこもった文書は盲人も読むと言われた。

 何事にもみな、その時と場所があり、入る所、出る所が別にあるものである。

はたして今のタイミングが、北南首脳が会う時であるのかについて考えざるを得ない。

 惑星の電波に乗って流れ込む騒がしい響きを通じて、南の情緒がはなはだしく清くないということは、われわれも知り尽くしている。

 南朝鮮の保守勢力は、現「政権」を「親北政権」や「左派政権」といい、口を揃えてこきおろし、その延長線上で「北南合意の破棄」を騒ぎ、われわれに対する非難と攻撃にいつになく熱をあげている。

 ましてや、以前の「政権」でも聞かれなかった「北の政権交代」、「北の崩壊誘導」という妄言まで吐かれているほどである。

 枯れ木から水取りという言葉のように、こんな時にいったい北と南が会って何ができ、そのような対座が果たしてどんな意義があるかということである。

 せっかく訪れた和解と協力の薫風を跡形もなく吹き飛ばしているにもかかわらず、何の対策も講じることができずにいる南朝鮮当局が、紙一枚の招請で険悪な状態を、手のひらをひっくり返すように容易く変えることが出来ると考えているならば、それ以上の誤算はないということが、われわれの考えである。

 犯した過ちに対する反省とすまない気持ちで三顧の礼を尽くしても足らない状況で、民族の運命と将来の問題について、何の関心もない他国の賓客を大げさに招き、彼らの面前で北と南のどんな姿を見せたいというのか問わざるを得ない。

 北南間の根本問題、民族問題を一つも解決できないにもかかわらず、北南首脳の間に依然として対話が成されているという匂いをたて、自らが主導した「新南方政策」の片隅に北南関係をこっそり挟み込もうという不純な企図に、むやみに従うわれわれではない。

 われわれと大きく因縁がない複雑な国際会議の場で会い、握手や写真でも撮るのを、いかにして民族の聖山である白頭山で北南首脳が両手を高く握り合った歴史的瞬間と比べられようか。

 板門店と平壌、白頭山での約束が一つも実現されていない今の時点で、形式だけの北南首脳の対面は、あえてやらないほうがましだというのがわれわれの立場である。

 特に、北南関係の現在の危機が、どこから来たのかしっかり解り痛嘆しても遅い時に、米国に寄りかかり慌てふためいたのにも飽き足らず、今に至っては住所と番地も間違った多者協力の場で、北南関係を議論しようと言うのだからいぶかしいばかりである。

 子どもであれば分別がなく、牛の角の上に卵を積む工夫をしたと言えるが、南朝鮮社会を動かすという人々が、自らの過と失を冷静に判断することに息を入れる代わりに、水面に絵を描く考えだけをしているのだから、北南関係はどのように改善され、和解と協力の花がいつまた咲くというのか。

 もう一度明確に言っておくが、何事も上手くいく為には、時と場所を賢明に選択しなければならない。

 このような理も解らない相手と十回、百回あったとしても、どうやっていい結果がでるかということである。

 その痩せた精神的土壌に自主的決断がいつ芽生え育つのかを、我慢強く見守るしか他に方法がないようである。

 南側の期待と誠意はありがたいが、国務委員会委員長が釜山に行くべき適当な理由を最後まで探せなかったことについて理解してくれることを願う。

●「朝鮮中央通信社」(日本語) http://www.kcna.kp/goHome.do?lang=jp

●エルファテレビ  http://www.elufa-tv.net/


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