時ならずして浮上した「朝米首脳会談説」と関連して先ごろ、わが第1外務次官は、談話を通じて明確な見解を発表した。
談話では、時期もわきまえずに再び朝米首脳会談仲裁意思を明らかにした差し出がましい人々対しても言及した。
事実、言語も違わないので特に分析しなくても簡単に分かるように明々白々に伝えた我々の見解であった。
にもかかわらず、言葉がよく理解できないのか、そうでなければ都合の良いことだけに耳をかすのが習慣になっているのか、今でも南側では朝米首脳会談を仲介するための自分たちの努力に変わりはないという、戯言が響き続けている。
さらに、ある人々は、外務省第1外務次官の談話が「米国が行動すべきというメッセージ」だの、「もう少し譲歩すべきという一定の要求」だのと、我田引水な解釈まで出している。
時が経つにつれ、いっそう複雑にもつれていく朝米関係を正常化すると、まるで「解決士」にでもなったかのように振る舞い、自分の鼻も拭けないにもかかわらず、他人の鼻から拭くことを心配するとは、実にぶざまだと言わざるを得ない。
もう、おせっかいは止める時になったと思うが、その癖を治す薬も処方もないようだ。
このように繰り返し、ちょこちょこと時期もわきまえず戯言のようなことばかり言っていると、北南関係が台無しになるばかりだ。
実に、見ているのも気の毒だが、「仲裁者」になろうという未練がそれほどにも強烈で、最後まで努力するのが願いなら、やってみるがいいということだ。
その努力の結果を見ることになるのか、そうでなければ元も子なく冷笑ばかりかうことになるのか、時が経てば分かるであろう。
改めて明白にしておくが、われわれは米国人と対座する考えはない。
(了)
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