コリアニュース №981(2024.2.6)
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過去の犯罪を否定し、朝鮮人犠牲者を侮辱する許しがたいファッショ的暴挙

朝鮮中央通信社は6日、次のような論評を発表した。

(以下全文) 数日前、日本の群馬県当局が、朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑を強制撤去するファッショ的暴挙を行った。

この追悼碑は、過去、日本帝国主義(日帝)が朝鮮人民に対して行った犯罪行為を記憶して心から反省し、アジアの平和と朝日間の友好を願い、2004年4月に群馬県立公園に設置されたもので、約20年の間、歴史の教訓を伝える象徴となっていた。

しかし、県当局は、2012年に追悼碑の前で行われた追悼集会の過程で「強制連行」の発言があったことを「政治的中立性の喪失」、「設置目的違反」などと言い掛かりをつけ、追悼碑の設置許可期間の更新を拒否し、撤去処分を決定した。

これに抗議する朝鮮総聯と日本の市民社会の激しい闘いにより、これまで目的を達成できなかった群馬県当局は、今年に入り、ついに「行政代執行」という強制的な方法で追悼碑を撤去してしまった。

これは、わが国を含むアジアの多くの国と民族に、大きな苦痛と不幸をもたらした日帝の過去の犯罪を否定し、植民地支配を美化する卑劣な振る舞いであり、強制連行の直接的被害者とその子孫たちの傷に塩を塗る、許しがたい反人倫的蛮行である。

前世紀にわが人民を対象に行った日本の強制連行、強制労働犯罪は、決して隠蔽することはできない。

日帝は、1938年4月1日、侵略戦争に必要な人的、物的資源を強制的に動員するため、「本法律の施行は外地(植民地下の国)にも適用する」という、強盗さながらの文言を記した「国家総動員法」をねつ造・公布したのに続き、「国民徴用令」、「女子挺身勤労令」などの悪法をねつ造・改悪し、わが人民を年齢、性別に関係なく強制連行、拉致して死の労役場に追いやった。

群馬県においても、軍需工場、地下工場、飛行場、発電所、鉱山などに数千人の人々が強制連行され、多くの朝鮮人が過酷な労働と悲惨な生活を強いられながら、無念に異国の地で命を落とした。

犠牲者たちを追悼し、犯罪に対して賠償し、過去の不幸が繰り返されないようにすることは、加害当局の法的義務であり、当然の道理である。

しかし、群馬県当局は、朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑を強制撤去する非常に不当な妄動で、自らの反歴史的で反人倫的な正体、復讐主義の野望を露わにした。

さらに、深刻なのは、今回の事件を主導・指揮した群馬県知事が、朝鮮に対する敵対感情が骨の髄まで染みついた悪質な極右政治家であり、東京にある関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑を含む、日本各地に設置されている追悼碑を撤去しようとする背後勢力と結託していることである。

過去を隠蔽しようとすることは、それを繰り返そうとすることである。

現在、朝鮮総聯と在日同胞、日本の政党、社会団体は、この不当な暴挙を断固糾弾し、追悼碑の復元を要求する闘いを強力に展開している。

群馬県当局は、内外の抑えきれない怒りを爆発させた現状が招く結果を熟考し、直ちに追悼碑を復元すべきである。

群馬県当局は、ファッショ的暴挙の責任から絶対に逃れられないであろう。

(了)

絶対に許されない反人倫的暴挙

朝鮮の労働新聞は6日、次のような記事を掲載した。

(以下全文) 日本の群馬県当局が、県立公園「群馬の森」にあった朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑を強制撤去する暴挙に出た。

この追悼碑は、県の市民団体が、第二次世界大戦時に日本の軍需工場や鉱山で命を失った数多くの朝鮮人の霊魂を慰めるだけでなく、当局が不幸と苦痛を被らせた加害の歴史を記憶して真心で反省し、再び繰り返さないようにする意志を込めて2004年に建てたものである。

しかし、群馬県当局は、追悼集会に参加した人々の中から発せられた「朝鮮人強制連行の事実を訴えようとする」などの発言が、政治的な色彩を帯びていると言い掛かりをつけ、追悼碑撤去命令を出し、当該の市民団体にその実行を執拗に強要した挙句、最終的に追悼碑を行政代理執行で撤去することを決定し、強行したのである。

群馬県当局の厚顔無恥な行動は、血にまみれた過去の罪悪の歴史に正しく、真剣に向き合う日本の進歩的な人々と朝鮮総聯、われわれすべての朝鮮人民の強い要求に対し露骨に挑戦する妄動であり、絶対に許されない反人倫的暴挙である。

20世紀前半、特に太平洋戦争時の日本の戦争経済、軍需産業が、朝鮮人の血と汗、死を肥やしにしていたことは、すでによく知られた事実である。

朝鮮の青年たちの尊厳と人権を完全に奪い、彼らを本土に連行し、奴隷のような使い捨ての道具として利用し、無差別に虐殺した日本の過去の犯罪は、何をもってしても洗い流すことのできない永遠の罪悪である。

群馬県にも、朝鮮人に対して行った日本の犯罪行為の爪痕が残っている。

関東大震災の際にも、この県で少なくない数の朝鮮人が、日本の殺人犯らによって野蛮に虐殺された。

藤岡市では、鋸で朝鮮人の首を切り落とし、妊婦の腹を割って胎児を取り出し踏み殺すなど、身の毛もよだつ殺戮が躊躇なく行われた。

群馬県当局は、過去に日本が犯した、反人倫的犯罪に対する深刻な反省の見地からしても、人道主義的見地からしても、この追悼碑の維持と管理に当然の関心を向け、適切な条件を保証すべきだった。

しかし、群馬県当局は、朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑の設置問題が提起された時から、非人間性と、朝鮮に対する敵意をむき出しにしてきた。

「朝鮮人・中国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」(「建てる会」)が結成され、旧日本軍の火薬工場の跡が残る県立公園の一区画を敷地として提供することに関する請願が提出された際、都市公園法の制約があるため難しいとして拒否し、申請団体の名前も「労務動員朝鮮人犠牲者追悼碑を建立する会」に変更するよう求めた。

「日本に強制連行された人々は100万人をはるかに超えた」という文言が含まれる碑文の草案が提出された際には、「募集、官斡旋、徴用という言葉もあるが、何を強制連行というのか判断が難しい、記録もなければ規模も明確でないため、政府としては強制連行と認識していないという見解であり、政府が認めていないため認められない」として、碑文の内容を変更するよう圧力をかけた。

結局、草案から歴史的経緯が削除されたものがそのまま碑文に刻まれ、「建てる会」を改名した「〈記憶、反省そして友好〉の追悼碑を守る会」(「守る会」)も、それを受け入れざるを得なかった。

しかし、ことはこれで終わらなかった。

群馬県当局は、追悼行事が行われるたびに介入し、いかなる政治行事にもなってはならないと主張しながら、参加者に精神的プレッシャーを与え、行事で「強制連行」という言葉が出ると、すぐにそれを政治的発言として問題視し、設置許可期間の更新も拒否した。

問題は、このような行動が、群馬県に限られたものではなく、日本当局の黙認のもとで日本の至る所で堂々と行われているということである。

日本帝国主義(日帝)の松代大本営があった長野県で、説明板に記されていた「強制連行」という文言が消されたこと、奈良県で「朝鮮人強制連行と日本軍『慰安所』があった」と記された説明文が撤去されたことを始め、日本の全国各地で、朝鮮に対する日帝による植民地統治時代の歴史的事実を消し去ろうとする動きが、公然と起こっている。

日本当局は、これらの不純な行為を見て見ぬふり、聞かぬふりをしている。

これらは、何としてでも過去の犯罪を隠蔽し、朝鮮に対する植民地支配を美化しようとする卑劣な行為であり、強制連行の直接的被害者とその子孫の傷に塩を塗る、非人道的蛮行である。

日本は、過去の罪悪を隠そうと卑劣に振る舞うほど、わが民族の怒りも、それに比例して激しくなるということをはっきりと理解すべきである。

(了)

●「朝鮮中央通信社」(日本語) http://www.kcna.kp/goHome.do?lang=jp

●エルファテレビ  http://www.elufa-tv.net/


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